ちょっと昨日いくらの話題が、知っている事話したら「えっ」と言う返し。
新鮮なイクラの「プリプリ感」について。
確か時自分の知る知識では、寮の終わり頃の鮭から取れるのが、革の硬い俗に言う「ピンポンイクラ」だった筈。
産まれず良く育ったからなのだろうと、信じ切っていた。
初物系からは皮の薄いデリケートないくらが取れると信じていた、実際はどうなんだろう、それウィ口にして離すと、ちがうよーという意見と、なるほどに2分された。
落ち葉を集めて火を点けるて焼くと、焼き芋が出来る。
...んですよね。
これ本当は、さつま芋が必要だと知るのは大人になってからと言った思い込みを持った人は多く存在するんです。こういう人は社会人んアドになって、何か仕事をしている方最中に、躊躇なく「そう信じていた」という事で、とんでもないことしたりするんですよね。
その代表が、料理ですね。味付け、火の加え方、材料の切り方など様々なな要素の集合体で、料理は科学だという義とも言われています。
無類の音楽好きなのだが、
音楽シーンの次のブレイクに期待しています。
其れはけっして、どのメンバーを選ぶといったものでは無く、其れと同じかそれ以上なベースを持って、自分が好きな音楽を耳につけてもらいたいです。
まぁ自分も小学校の4年生の頃からラジオから流れる洋楽のヒットテン番組からのスタートだったのですが、
その後の、フォークブーム、花中三トリオ〜新御三家とあの渦中を行きた1959年生まれ
オーディオもブームで、4CH(4チャンネル)なんてのもあったし、カセットテープの普及から加速した空前のレコードブームにFMエアチエック
ああっ!書きだすと終わらない...
StuffIt、懐かしいと言う言葉しか無い。
久々に昔々のデータを探っていると、StuffItファイルをみつけた。
1990年代のMacintosh(Mac)の古いOS( operation system)向けの超定番ファイル圧縮解凍application softwareで、国内ではまだまだ OMS-DOS全盛で.LZAと言う方式が
ブレイクしていた頃だ、記憶メディアが、5インチや3.5インチのFDDの頃でようやくHDDが普及の兆しと言う時代、LANネットワークなど夢のむこうの時代ファイルの持ち歩きはFDDだった。が別に困らなかった。PCといえばNECのPC9801だった時代
自分は1990年秋にMacintosh(Mac)とciと言うパソコンが納入された、Macintosh(Mac)の良さもさるところ、同時に納入された専用的なレーザープリンタのすばらしさに感動した。
このStuffIt。当時のMac PCには不可欠なアプリでその開発元がAladdin Systemsと言うちょっと中東感が個人的にお気に入りだった。
其の後、WindowsでもmaxOSでもオSレベルで.ZIP形式がサポートされて、StuffIt
のことはさっぱりと忘れかけていた。
もう10年も前になるが、勤め先で3D CADの導入にあたりどのapplicationがと練った結果、2種を選び使ってみてということに決定mそれより早く扱いの学習が急がれたころだ。
そんな時 SolidWorksと、当時超最新のAlibre Designの購入を決定無事に導入が開始された。
ああ言えばこう言う主義、 Windowsでは無くMacな自分はMid Rangeの最大シェアのSolidWorksは部下に扱わせて、自分はAlibre Designを学んだ、十分使えた
し、直ぐに仕事の設計に色つやが加わった。
その後、会社を早期退社して、しばらくして何かの機会にAlibre Designが名称を変えたとは知っていた。Geomagic Designと呼ぶらしい。
そして昨日、ある流れから
その名前を変えたapplication Alibre DesignがNew Alibre Designとして出直し販売された
とWebで知った。丁度少し3D CADを必要としている仕事に手を付けそうなので、検討対象だ。
Parallels Desktop 13 for Mac が公開されているが、現時点でどうしても
Windowsという訳でも無いので以前のライセンスであるバージョン10は削除済み。14にでもなれば、アップグレード
するのかなぁと考えている所だ。
自分が最もWindowsを必要とする場面は3D-CADだ。
後は、回路設計系の、CAD application softwareだ。
solid Worksを代表とする、ミッドレンジ3D-CAD applicationでの利用で、PC業界の歴史からグラフィクス形にも関わらず、古くからWindowsの独創場だ。
主に機械設計系なのだが、圧倒的にWindowsだ。昔々はEWS(engineering workstation)と呼ばれるグラフィクス機能搭載マシンに最適化されたといわれる3D-CAD applicationだ。
自分もその口、EWSが消えた後、それらの主力の3D-CAD application softwareは Wintelに移植され、輝きを得た。
しっかり目盛りを積んだPCで設計g超むを支えた。世間が、なぜ64bitなんてバージョ
のWindowsが必要なのという質問を両耳に聴き、それはね、一歩先を見据えているから
なんだよと、Windowsのシェアが16bitだった時代に説明するのがまどろっこしかった。
所で話を戻して
ライセンス切れのParallels Desktop 10 for Macからじバージョンにあっぷぐれ殿前に無
料のvirtual boxを本日試してみた、Windows7を入れてみたがフツーに動いた。
一応の報告。
群来が確認、と言うニュースが大々的にテレビやネットで話題となった。2008年の事だ。
1954年自分の生まれが1959年なのでその5年前を最後にニシンは海から消えたとされる。20のころ初めて、石狩挽歌と言う曲(歌:北原ミレイ)を耳にしtwその歌詞の内容
北海道登別市経済を支えたといわれるその全盛期の大量ぶりは、まさに伝説、明治の頃は特に凄かったらしい。
捕った魚を水揚げ、陸揚げ、腐らせて、肥料として専用船に山済みにして本州にうるといっ商売まであったと言う、何も取れない土地が、費用苦な土地人流と言う事で、生産マップが変わるとまで言われた、
そのタイミングで古老と呼ばさせていただく、かってのニシン全盛をかろうじて知る両氏がが縁に登場、す処分せず残っていた、その昔のあみを取り出しとか、見ていても感動と涙に溢れる、もうダメだと諦めていたニシン漁の復活に、浜が
湧き立つといった番組に眼を奪われた。
群来とはニシンが浜に押せ寄せる事を言うのだが、簡単に言うと維新が産卵の為岸に寄って来るのだ、海岸線に生えている階層がお目当
で、そこに、いわゆる
ニシンの子数の子が散乱されると、海藻に卵は植え付けられるのだそうだ、その後オスが、精子をかける事で、海の色がに凍り変化することでニシンが来たことが分かるのだそうだ。北海フォウ的には内地(本州からの)季節労働者との強力で、大漁を支えたそうだ。
その繁栄ぶりは今でも多くで語られる、ニシン御殿はその良い例だろう、元々網本のジュ虚であり漁の際のちとでの宿の役目もある、24時間的に寮は続くので、朝夕無くイギ割ったそyfr石狩挽歌もその際をうたった物だ、自分は石狩の隣の札幌帰宅の農家の生まれ、いまから50年前石狩町と新川のあいだの浜に、旧漁師のじゅ巨跡とされる場所があり、井戸や朽ち果てた盾も二の残骸がまだあった、そもおも「鳴き砂」と呼ばれる
場所があった、歩くと、「キュッキュ」となる事は小さな時から知っていた。昭和40年初めの頃だ、まだ今よりかなり海も綺麗で、knの上から、海のそこの砂地をみて、ホッキ貝の居る場所がえs借り、100個ぐらい優れた。海に流された、スーパーの買い物かごの残骸が10分ぐらいですぐ一杯になった。
今58才25歳の頃まではそれが可能だったが、石狩の市場で10個で500園なのを見て、寒い思いするなら買ったほうがと思う様になった。話を戻しtw石狩の町から。新川の間に3箇所ほどの集落があったと聞く、コメも作り漁もしていたそうだ。