チャリパトかって略したらおじさん起こるよ!
モダンジャズをつくったプレイヤーとして有名。
時自分が19-21の頃、1本の90分かセットにはその演奏が埋まっていた。
カセットのラベルには中太サインペンで、
Charlie Parker とだけ書かれていた、当時は吸収したい音楽で溢れており、それも何度も何度も聴き繰り返したい音楽が次々と売り出されていた1970-80年台。中学にころからのバンド仲間と活動は続き、演奏は露cつくだが、普段聴きの音楽はロックに、ジャズに、ボサノバまで。
小学5年-6年、不オークミュージックの大ブームで、それまで洋楽ポップスが好きだった自分は、シカゴやサンタナ等の流行していた大人数系のロック音楽に興味を持つ様になっていた。
高校/専門学校、さらに社会人になってもその生活は変わらなかった。
メンバーも社会人、集まる時間を確保するために、お金を出し合って1軒屋をお金を出し合い借りる程の異常的な生活を送った事さえある。アジト状態だ。
おそらく夜な夜なで、近所からは怪しいと思われていた事だろう。実際いま思うと大いに怪しい。20大そこそこの若者が5名頻繁に出入りするのだからそれは間違い無く怪しい。
けっこう大型のオーディオで、音楽ガンガンかけていた、
自宅も田舎の一軒家、けっこう大きな音楽再生だった。そんな21才の頃、老後は、Charlie Parkerを聞いて四、五せたらなぁち思った事は白状する。
そのときの自身のオーディオ装置は変形。
フルレンジスピーカーに自作のオーディオアンプ、ソースはレコードにカセットという時代。ふつーにおっぱん過程に20万近いオーディオがふつーにあり。
でもレコードは4ー5枚なんでて逆にマニアな揃え方で鎮座していたmので、珍しくはなかった。
そのてのステレオと呼ばれていたセットが、居間と、各自の自室に個別にあると言うのも目座らしくはなかった。
お兄ちゃん、お姉さん、弟みたいな感じで、お父さんやお母さんは居間のステレオで音楽やラジオ放送を聴くとか、懐かしい昭和のあるあるだ。